東京オリンピックを来年に控えた2019年、五十嵐カノアは公言どうり初のWSL CT(チャンピオンシップツアー)優勝を果たすなどして一気に躍進。2019年11月5日現在でワールドランキング6位にランクし、今シーズンのTOP10入りを確定させ、WSLランキング枠からのオリンピック出場枠を確実とし日本代表に大きく近づいた。またサーフィン以外の企業やブランドよりスポンサーを受けるなどアスリートとしてはもちろん、マーケティングアイコンとしても業界内外で注目されている。そんな自身を取り巻く環境やサーフィン史上歴史的なイベントになることは間違いないオリンピックついて現在の胸中を語ってもらった。
「サーフボードになんでもかんでも貼る類のサーファーにはなりたくない」
日本人初のCT優勝はどんな気分?
想像していたよりずっと嬉しかったよ。今までの努力やトレーニング、サーフィンのために払ってきた犠牲すべてが報われた気分だね。
東京オリンピックの開催国枠をほぼ獲得したような印象だよね?
大怪我などすることなく、今年のCTを現状のままフィニッシュできるといいね。大きな不安はない けれど、プレッシャーは小さくないよ。日本ではテレビ番組で「金メダルの最有力候補は五十嵐カノ ア」と言われているみたいで、「へえ、こいつが日本の星かあ」と思われてる。僕の一挙一動が注目されるんだろうね。嬉しいことではあるけど。
近年の活躍でスポンサーは増えた?
そうだね。現状、僕の収入のほとんどはサーフィンと関係ない日本の企業によるもので、僕のキャリアにとっては欠かせない存在なんだ。そうした企業のステッカーはサーフボードに貼らない契約にな っているけれど、おそらく求めれば15社くらいの日本企業のステッカーを貼れるし、その方が収入は増える。ただ、サーフボードになんでもかんでも貼る類のサーファーにはなりたくない。貼るのは、クイックシルバー、レッドブル、オークリーのようなコアスポンサーのものにしたいんだ。それと、日本での契約はちょっと独特だね。グローバル契約をしているクイックシルバーのような サーフブランドは僕の雇用主みたいなスタンスで、普段も彼らのキャップを被り、洋服を着て、月々の給料も貰っている。でも日本のブランドの場合はキャンペーン毎の契約が多い。だから「今回のオファーは1億円です」みたいなことにもなる。
「正直、今はプレッシャーで眠れない夜もある」
そういう仕事はどう?
前回日本に行ったときは、毎朝5時30分に起きて23時30分に帰宅してたよ。毎日10〜15件のインタビューがあって、時間がないからタクシーの中で受けることもあった。ほかにスポンサーとのミーティング、写真撮影、テレビへの出演。VISAカードとの仕事は朝6時から夜21時まで3日間みっちりの撮影だった。そのキャンペーン用に撮影された映像は渋谷駅前のスクランブル交差点で映されるみたい。毎日460万人が通る場所らしいよ。必然的に僕自身への認知度も高まることになるね。こんなことは初めてだよ。
日本の総理大臣にも会ったとか?
昨年のISAワールドサーフィンゲームス(WSG)で日本が団体金メダルを獲得したあと、安倍首相から僕に会いたいという話が届いて、会うことになったんだ。その日、彼はボディガードたちと一緒にヘリコプターで現れた。僕も全身チェックとかされてさ。クレイジーだったよ。普段、誰と会っ ても緊張することはないけれど、その状況はさすがにびびったね。5人のボディガードたちが離れて首相が現れると、彼は僕にまっすぐ歩いてきて握手をした。「期待しています。日本国民もみな、君が金メダルを取ると信じていますよ」と、そういうことを言われた。僕は面食らってしまって「まるで戦争にでも送り出されるみたいですね」と返事をしたら、「そういう気持ちで是非とも頑張ってください」みたいなことを言われたと思う。貴重な経験だったけど、ものすごいプレッシャーを感じた。正直、今はプレッシャーで眠れない夜もあるよ。失敗したらどうする? 日本の期待に応えられなかったら? なんて考えることがあるけど、失敗するチャンスすら与えられないより、ずっと幸運なことだなとは思うようになった。
プロサーファーになろうと決めたとき、これほど有名になる日が来ると思っていた?
もちろん思ってないよ。スーパースターや有名人なんて自分とは無関係だと思っていたからね。12歳の頃、僕はタイガーウッズとレブロン・ジェームズのファンだったんだ。「この人たちはスーパースターでクレイジーな人生を送っている。どんなにサーフィンを頑張ったって、この人たちのいる場所にはたどり着けないだろうな」と思っていたんだ。それが突然、日本のテレビや都心のビルボードに自分の顔が出て、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアでも声を掛けられる。夢にも思わなかったことが起こっているんだ。全部オリンピックの効果だよ。
昨年、STAB誌の高所得者ランキングに初登場したね。しかも7回の世界タイトル保持者ステファ ニー・ギルモアたちを追い越して。さらに順位は上がると思う?
そうなるだろうね。日本のオリンピックへの盛り上がりは日々増している。そうなればそうなるほ ど、スポンサーにとっての僕の価値は上がっていく。日本の市場は独特で、僕もその恩恵はしっかり 受けるつもりでいるよ。ときには批判の声も聞こえてくる。世界チャンピオンでもないのに、チャンピオンレベルで稼いでるって。その気持ちは良く分かるけど、ツアーの成績ともらえる額は関係ないし、決めているのは僕ではないんだ。自分はただベストを尽くしているだけ。少しの運と、たくさんの努力の上に、今の幸運な状況があるんだと思っている。それから、オリンピックはこれからのサーフィン業界を大きく変えうると思う。僕もまさに今それを体感しているわけだけど、その波はサーフィン業界全体に広がっていくだろうね。
スーパースターへの憧れがあったと言ったけど、自分がスーパースターになれるという自覚や自信は芽生えてきた?
そうだね。でも反面、富や名声に興味はないよ。そのライフスタイルにこそ価値があるんだ。レブロンやオデル・ベッカム・ジュニアみたいな才能あるアスリートたちのようにね。プライベートジェットで移動して、良いクルマに乗って、高級な服を着て、世界中を旅して、最高に美味い料理を食べ て……。彼らはクレイジーなライフスタイルを送りながらも、好きなことを好きなようにできる。で も、それは確かな実力があるからこそできるんだ。世界トップクラスのアスリートでありつつ、プラ イベートとの切り替えも上手い。それはすごいことだと思う。そう振舞うためには、やっぱり誰に何を言われても気にしない自信が必要だと思う。彼らは別の種類の自信を持っているんじゃない かな。それはスポーツとは離れた部分での、人間としての確固たる自信なんだと思う。例えば彼らは 常に批判も受けて過ごしている。でも最も嫌われる人たちこそ、最も自信に溢れていて、コアなファ ンがいるものなんだよ。僕も世界ランキング5位だからとか、レギュラーターンのスタイルが好きだから、という理由より、ありのままの自分を好いてもらえることのほうがずっと嬉しい。
「きっと、来年の金メダルは僕のためにある」
ではオリンピックにはヘリコプターからスーツ姿で登場しちゃう?
偶然だね。ちょうど、そのアイデアを提案したばかりなんだ。今回の会場は東京の選手村から遠い千葉なんだ。普通、選手はみんな選手村に滞在して、それぞれの会場に向かう。でも千葉まで遠いし、渋滞問題も考えてサーフィンの選手だけは千葉に滞在する案が出ているんだ。その方が練習や本番に集中できるだろうって。でも、オリンピック委員会に行って、「僕は東京に滞在したい。選手村に滞在して、毎日千葉にヘリコプターで通います」と伝えたんだ。だって、せっかくのオリンピックを満喫したいからね。これは千葉オリンピックではなくて東京オリンピックなんだし。観客や盛り上がり、そういう雰囲気を含めたすべてを他の素晴らしいアスリートたちと楽しみたいんだ。僕は、もっとサーフィンに付加価値を付けたいし、そのための努力をするつもりさ。もっと多くの 人にサーフィンに興味を持ってもらいたいし、サーフィンはただの趣味ではなく、素晴らしいスポー ツなんだということを示したい。少なくとも日本の人たちには、そういうサーフィンのイメージを伝えていきたい。日本人にとってサーフィンはまだ目新しいもので、新鮮で刺激的なんだ。だからこそ、多くの人の心にすっと入っていけると思う。その転換期に僕は関わりたい。子供たちが「サーフ ィンって格好いいな。派手なエアやチューブライドだけでなく、ライフスタイルそのものなんだな」 と思ってもらえたら最高だね。ヘリコプターの案も手応えは良かったから、どうなるか楽しみだよ。
オリンピックの金メダルと世界タイトル、今選ぶなら欲しいのは?
勝ち負けはどうあれ、オリンピックの舞台は自分に訪れた最大のチャンスだと思っている。15 回の世界タイトル優勝より価値があるよ。年間のツアーではなく、一発勝負だから優勝の可能性も高い。それに最初で最後の機会になる可能性だってあるしね。世界チャンピオンは大勢いるけれど、サーフィンの金メダルは全然別物だ。もちろん世界タイトルの獲得はすごいことだよ。僕もそれに向けてずっとトレーニングしてきているわけだし。ただ金メダルはすごくユニークで、サーフィンの場合は地球上でまだ誰も持っていないからね。それに「サーフィンの金メダルは僕のためにある」と運命的なものを感じているんだ。だから僕が今欲しいのは、やっぱり金メダルの方だね。
こちらのインタビュー記事は2019年8月10日発売サーフィンライフにて掲載分を一部加筆修正したものです。
写真=ライアン・ミラー 取材・文=マイケル・チャラメラ