サーフィンライフ アーカイブ Vol.24〜2000年4月号 日本のサーフィンは飛躍するか?

連載「サーフィンライフ・アーカイブ」今回は2000年9月号。
表紙はタヒチ・チョープーでカジュアルにレールをセットするケリー・スレーター。ケリーにとっては朝飯前的なライディング。この時はまだツアーに復帰していませんが、世界中のメディアがケリーを追っかけていたのは、今と同じ。

特集は、日本のプロサーフィンの行方について。この頃のサーフシーンの中心といえば、まだまだコンペティション。その世界最高峰は今と変わらずWCT(ワールド・チャンピオンシップ・ツアー)でした。アメリカ、オーストラリア、ハワイなどのサーフィン大国、もしくはエリアに対し、サーフィンにおいては小国としてWCT入りを目指していた日本とブラジルのサーフシーン。しかし、日本に先駆け、1999年にフラビオ・パダラッツ、ファビオ・ゴーベイアの2人のWCTサーファーを輩出したのはブラジルでした。その当事者、フラビオ・パダラッツのインタビュー。いろいろ示唆に富んでおりますので、以下抜粋。

「ブラジリアンにとって有利なWQSスケジュールは、ブラジルのサーフィン業界が自分たちに一番有利になるように考え尽くした結果なんだ」

「日本から世界にサーファーが出てこない理由。それは国内ツアーとスポンサーに要因があると思う。それで生活できるなら、オレだって出ないよ」

「ブラジルは経済が不安定だし、貧乏ツアー。だから世界に出るしかなかったんだよ」

この2000年で既に10名のブラジリアンサーファーがWCTツアーに参戦していました。インタビューの最後に、いつかワールドチャンピオンがブラジルから出る日を願っている、と締めますが、2014年のガブリエル・メディーナまで10年以上の歳月がかかりました。現在のシーンはご存知の通り、TOP20のうち実に8名がブラジリアンとなっており、最大勢力です。先日の「Oi Rio PRO 」あのギャラリーの数、そりゃ盛り上がる訳ですね。

おまけ。DC SHOES当時の広告。アンディはやっぱ、カッコいい!

続く…。