令和一発目のサーフィンライフの平成史でございます。(紛らわしい?)
小誌サーフィンライフの創刊が1971年(昭和46年)ですので、昭和で18年、平成で31年の 間発行していることになります。およそ63%が平成生まれですね….しみじみ。では1997年(平成9年)の1月号をご紹介しましょう。
カバーショットはカービー福永のレイバックシークエンス。当時の編集スタッフはこんなアクションPHOTOが好きなようですね。これまでも何回かレイバックが表紙になっています。サーファーならではの肩甲骨周辺筋肉の逞しさを見よ!そういえば、前日ゴールドコーストでカービーに会いました。その日は波が小さかったんですが、フォイルサーフしてる人がいまして、よく見たらカービー。爽やかな笑顔でハローと言い残し、あっと言う間に沖まで行ってしましました(笑)。サーフィンはもちろん、スキンダイビングもやっていますし、正にオールラウンドウォーターマンと言ったところでしょうか。
2020年TOKYOオリンピックに向け、さらに昨年の世界戦とジュニア両方での日本代表チームの団体金メダル獲得により、一段と注目されつつある「ISA WORLD SURFING GAMES」。こちらは96年10月に行われた大会の報道記事になりますが、実はこの大会から大きく変わった点があります。それはプロサーファーの参戦が可能になった事。「オリンピックはベストなアスリートによって競われる世界最高峰の競技会」という当時の国際オリンピック委員会(IOC)の理想に沿い、そして2000年のシドニーオリンピックでのサーフィン競技の参加をめざした国際サーフィン連盟(ISA)の目的が明確になったターニングポイントともいえる大会だったのです。
ページをめくって見ると、ISAのチェアマンは何と現在と同じフェルナンド・アギーレ氏!この時、就任2年目となったいますので、実に20年以上もオリンピック正式競技になるために尽力してきたことになります。まさに鉄の信念。そして、本当に実現してしまいました。氏を中心に関係各位には頭がさがります。ありがとうございました。しかもTOKYOにしてくれて!笑
さて参加したプロと言いますと、なかなか凄いですよ、メンツ。まずOPEN MENSクラスの優勝はテイラー・ノックスだし、トッド・プレステージ、シェイン・ベッシェンはいるし。ジュニアの2位はタジ・バロウだし、ダミアン・ホブグッドが3位だし。いやはや当時のバリバリトップサーファー達が出場しています。我が日本代表チームを一部紹介すると、OPEN で福地孝行、小川直久、ジュニアで大野ノリ&マー、ボディボードで小池葵、ロングボードで真木蔵人と、世界に負けないメンバーです。そうそう、今では本戦とジュニア、ショートボードとロングボードとカテゴライズされていますが、当時は全てが一つ大会で開催されていたのです。
先ほど、今年9月に宮崎で開催されるISA世界戦の日本代表メンバーの選考会ともいうべき第1回の「JAPAN OPEN OF SURFING」が終了しました。MENS優勝は村上舜、WOMENSは松田詩野。まずはこの2名は確定、残る席は男女ともに2つづつ。果たして今後どのサーファーが選ばれるのでしょうか?オリンピックまであと1年余り、本番で代表の座を勝ち取るには誰なのか?この1年は目が離せませんね。