サーフィンライフ アーカイブ Vol.20〜1999年3月号 ケリー・スレーター引退を表明

2000年のミレニアムまでのカウントダウンがいよいよ始まった1999年の3月号の表紙はバックドアのサーフィンとポートレイト写真を組み合わせたケリー・スレーター。なぜかといえば、、、、

の衝撃ニュースが1999年1月22日付けで飛び込んできたのです。業界全体が揺れに揺れまくったのはいうまでもありません。この時、ケリーは28歳ですが、既に最年少のワールドチャンピオン、最多の6回、また新記録の5年連続ワールドチャンピオン獲得等と既に”キング”としてサーフィン界に君臨。トップ中のトップサーファーのツアー引退ですから、そりゃ緊急速報になるわけです。まだまだ速報はネットでなく、雑誌の時代。
パイプマスターズでセミファイナル進出により、ワールドチャンピオンを決めた瞬間のケリー。ちなみにこの時ケリーは優勝はしていません。この年のパイプマスターズは現在、五十嵐カノアやステファニー・ギルモアのコーチとして知られる、”スネーク”ことジェイク・パターソン。
この特集は、ケリーがサーファーとしてでなく、以前も書いたようにミュージシャン「サーファーズ」として来日した模様をフィーチャーしております。特記すべきは来日期間。1999年1月13〜19日とまさに引退表明の直前!”Where you going?”

2006年にリリースされた、ケリーの黄金時代をサーフボードで支えたシェイパー、アル・メリックの自叙伝的ムービー「flow」の中のインタビューで当時を振り返りこう答えていました。「サーフィンはすごい個人主義。僕には同世代で友達のサーファーがツアーにたくさんいるけど、ヒートで戦った後も友達でいるには、とてもハードなことなんだ。でも、僕はチャンピオンなるために決心した。でもね、何年もやり続けていくうちに、もういい、もうたくさんだって…。」。友情をも厭わない戦い続けるマシーンと化し、トップを極めたケリー。数々の栄冠を掴み、誰も到達してことの無い高みに登りつめた後に残ったのは、擦り切れてボロボロになった心だったのです。