サーフィンライフ アーカイブ Vol.43 2006年3月号:クラークフォームショック&洋之介FOREVER

”古きをたずね、新しきを知る”=温故知新の連載「サーフィーンライフ・アーカイブ」。今回は2006年の3月号。表紙はクイックシルバーの壮大なプロジェクト「THE CROSSING」よりケリー・スレーター。この写真、数あるケリーの写真の中でもよく使用される代表的なショットですね。覚えている方も多いのではないでしょうか。撮影はジェフ・ホーンベーカー御大。

発売は2006年2月10日。製作期間はおよそ2005年12月〜2006年1月中旬の約1.5ヶ月なんですが、この期間に世界及び日本のサーフィン界に激震が走った二つの出来事が起こりました。

ブランクマンデー

サーフボードを作る上で絶対に欠かせない材料といえば”ブランクス”。このブランクスにシェイパーのデザインがシェイピングという作業で落とし込まれ、サーフボードが出来上がって行く(その後の工程はグラッシングやサンディング等)、言わばサーフボードの原型といえます。そのブランクスにおいて、実にアメリカ市場では、当時、80%以上のシェアを持っていたクラークフォーム社が12月初旬に突然の閉鎖を発表したのです。原因は、現地の環境庁による度重なる環境基準クリアの厳しいハードル、及びそれに伴う都度の高額な設備投資、と言われていましたが、定かではありません。いずれにせよ、社の閉鎖の発表を受けた世界中のサーフボードメーカーはさぁ、大変。各社アメリカの他メーカーやオーストラリア産ブランクスの確保に奔走します。一時はサーフボードは当分作れないのではないか?と言われた程。何せシェア80%ですからね。それでも他のブランクス供給メーカー及びサーフボードメーカーの努力により、多少仕入れ価格は上がったものの、ユーザー価格にはそれを反映せず、ブランクス確保の目処が立ち、事態は一ヶ月程で収束の方向に。モダンサーフィンの発展に多大なる功績を残してきたクラークフォーム社の閉鎖は今振り返っても残念なことではありますが、その後、USブランクスをはじめとする供給メーカーが新たに数社誕生したり、多種多様な素材や特性を持つブランクス、また新素材のモールドボードが開発されたり、結果としてエンドユーザーの選択肢が広がったのは、よかったといえるかもしれません。ちなみに、まだ最後のクラークフォームを大事にキープしているシェイーパーさんを知っています。

佐久間洋之介の訃報

2006年の年明けには悲しいニュースが編集部に飛び込んできました。日本の若手ビッグウェイバーとして多くの期待を受けていた、佐久間洋之介が地元の海でのダイビング中に行方不明、そして帰らぬ人に。享年25歳、あまりにも突然、そして早すぎるお別れでした。サーファー、ビッグウェイバーだけでなくウォーターマンとして海を愛した洋之介。日本サーフィン界は稀有なタレントを失ってしまったといえるでしょう。彼が愛した地元のYono Peakで開催される「YONOSUKE MEMORIAL CUP」にその意志は引き継がれています。それにしても他誌に掲載されたハワイのアウターリーフでの写真は凄かった。それまで考えられていたビッグウェイブにおける日本人のスケールを遥かに超えていましたね…洋之介フォーエバー。


表紙にもあるように特集&付録DVDでは、クイックシルバーが有する船インディーズトレーダー号による期間6年、総後悔距離は地球4周半、サーフしたポイントは115ヶ所と壮大すぎるプロジェクト「THE CROSSING」の総集編。右下の写真は日本から唯一このプロジェクトに参加していたMARこと大野修聖。サーフパートが映像の殆どを占めますが、後悔先々のリーフチェックをし、環境問題の啓蒙パートがあったもの画期的でした。

では、また次回。