DONT PANIC presents マーティン”POTTZ”ポッター ショートインタビュー

サーフィンライフの読者の皆さんにはもう同じみのイエローをブランドカラーにする、ハイブリッドリーディンググラス・ブランドの「DONT PANIC」。そして、イメージキャラクターを務めるのが元ワールドチャンピオンで”ポッツ”の愛称で知られる、マーティン・ポッター、御年54歳!。そのポッツが先日開催されたサーフィン、スケート、スノーの合同展示会「インター・スタイル」にプロモーション来日、会場でポッツを捕まえ、ショートインタビューを敢行!

まずは過去にポッツが表紙になったバックナンバーのコピーを渡し、ご機嫌取り 笑 ノリノリでインタビュー突入!

日本は何年ぶりですか?

最後に来たのがなんと26年も前なんだ。その時はCHP(カルホルニアハワイプロモーション)のプロモーションで来たんだ。それまでは、ほぼ毎年来ていたんだけれどね。日本全国のショップを回ったり、いろんな場所でサーフィンしたり、良い思い出でいっぱいだよ。富士川でサーフィンをしたんだけど、あそこの波はワールドクラスだったね。試合で来たのは確か、82年か83年の部原が最初だったかな。宮崎でもコンテストがあったね。カレンズの波もよく覚えてるよ。

91年の部原でのブラット・ガーラックとのあの有名な *一件についてを教えてくれますか?
 *1991年部原で開催されたマルイプロのマン・オン・マンのヒート中、お互いがリーシュを引っ張りあったり、ノーズでつつき合うなどしながら口論。ヒートが途中で中止になるハプニングがあった。ジャッジによる説得後、結局ヒートは再開され、ポッツが勝利。当時は犬猿の仲とされていた

ハハハ、いまでも鮮明に覚えているよ。確かあれはクォーターファイナルだったね。まあ、簡単にいうと、お互いがまだ若くて血気盛んだったっていうことかな。二人とも勝ちたいって気持ちがヒートアップしちゃってね。試合中のあんな行為はもちろん誇れるものじゃないよね。ガーラックとは今ではいい友達だよ。あくまで試合中のことだったし、いつまでも根に持ってもしょうがないしね。

現在、WSLチャンピオンシップツアーのコメンテーターをしていますが、ポッツから見て世界トップレベルのサーフィンはどう見えますか?

試合中のマニューバーエアーを取り入れたのは、僕が最初だったけど、今はレベル違う、異次元だよ。ジョンジョン(・フローレンス)、(ガブリエル・)メディーナ、フィリペ(・トレド)は特にね。その姿はサーフィンというより、オリンピックの体操選手のようにアクロバティックだね。僕のころはまだプロサーファーはスポーツ選手という感じではなかったけど、今の選手達は完全にアスリートと呼ぶべきじゃないかな。相当ハードなトレーニングもしてるしね。また、ケリー(・スレーター)が48歳にしてまだ世界のトップ10に入ってるのは驚異的だね。

コメンテーターとして世界を転戦している以外は何をしてるんですか?

WSLの仕事には約半年の時間を取られている。楽しい仕事だけどね。今はオーストラリアのメルボルンに住んでいるんだけど、ホームにいる時は家族との時間を大切にしてるよ。毎朝朝食作って、学校の送り迎えもするし、すっかりお父さんだね (笑)。もちろん、できるだけサーフィンもしてるし、波がない時はゴルフも楽しんでるよ

ひとつひとつの質問に丁寧に答えていただきました

15歳という若さでプロになり、すぐにツアーに参加しましたね。今のシーンと比べてみてもかなり若い。どうしてそんな若さでツアーにクオリファイできたんですか?

すでにアマチュアではチャンピオンになっていたから、プロに進んだのは自然の成り行きだね。世界のベストサーファー達と戦いたいと思ったし、自分のサーフィンは通用するって思ってた。でも、その若さでクオリファイできたのは驚き、なぜだったんだろう?(笑) ショーン・トムソンやマーク・リチャーズ等当時のプロをみんなリスペクトしてたけど、試合いでは怖いって感じがしなかったな。デビューしてすぐ、立て続けに上位にはいる事もできたしね。

あなたはマニューバーにエアーを取り入れるなど、当時では先進的なサーフスタイルでした。そう言ったスタイルは自ら築こうとしたのですか?それとも自然な流れですか?

エアーについては、ある程度できていたんだ。でも飛んでいたのは、クローズセクション時の波の裏側。ある時、同じく飛んだら、波の力もあって体が少し前方に傾いた、そうしたら波の前に出ることができたんだよ。その時に”コレだ!”って思ったね。それから練習を繰り返して身につけたんだ。エアーにはスピードが必要なんだけど、ツインフィンのボードに乗っていたのも大きいかな、スピード出すにはもってこいだから。エアーができることによって他のサーファーと違うラインを手にいれる事ができたのは大きいね。

ツアー参戦後すぐにTOP16入りを果たし、誰もが次のチャンピオンはポッツだって思っていました。でも、実際にワールドチャンピオンになるまでには9年かかりましたね。なぜですか?

15歳の若者にとってはいろいろ多くを学ばなくちゃならなかったから、時間がかかったのかも知れないね。いろいろな国に試合をしに行くのにチケットや宿の手配など全部自分でやらなきゃいけなかったし、それだけも大変だったよ。チームマネージャーなんていなかったしね。フランスに行ったときなんて、深夜に会場に到着しちゃって、朝までジャッジテントの下でボードケースの中で寝たなんてこともあるよ。あと、時間が掛かったのはジャッジかな。僕は他のサーファーと違うアプローチやマニューバーをしていたから、採点の基準が無かったんだ。当時、点数が出るのは、一本の波にできるだけ多くの技を入れて乗り切るっていうサーフィン。それは自分がしたいサーフィンではなかったけれど、勝つためにはそれに合わせなくてはならない。だからジャッジがどんなサーフィンを好んで点数をつけるのかをすごく勉強した。そういった意味でも時間がかかったのかも知れないね。もし今のジャッジの基準だったら、タイトルをもう一つ獲れたかもね(笑)。今はビッグなワンマニューバーにも点数がつくから。

以前、アンディ・アイアンズがインタビューで影響を受けたサーファーの一人としてあなたを挙げていました。自分のスタイルを踏襲したサーファーはだれだと思いますか?

サーフィンでいえば、アーチー(マット・アーチボルド)かな。全体的なスタイルでいえばアンディかもしれないね。プロサーフィン界の最後のロックンロールスターだよ、とても個性があった。今のサーファー達はそういった意味でも個人にキャラがあまりないかも知れない。アイスで例えれば、バニラ味。アイスクリーム屋さんはやっぱり色んなテイストがあった方が楽しいだろ?バニラだけだと退屈だよ(笑)。昔は優勝したら、その夜は盛大にパーティーだったけど、今じゃみんな普通に寝ちゃうよね。まあ、その分アスリートでもあるんだけど….

ポッツのテヘペロ!このチャーミングさがセクシーだったりするのです。こんなオッサンサーファーになりたい!

今はどんなボードに乗ってますか?

自分のブランド、POTTZサーフボードに乗ってるよ。ポルトガルで作ってもらっているんだ。54歳になるけど、レギュラーボードは5’10”。フォーエバー・ヤング(笑)

サーフィンライフにはあなたと同世代の読者がたくさんいます。その世代にどうやったら上達するか?サーフィンスキルをキープできるか教えてもらえますか?

とにかく海に入り続けること。シンプルだけど、Keep on surfingだね。あとは年齢なんてただの背番号だと思えばいいんだよ。”あ~、年とちゃったな”なんて考えると不思議と思考や技術、進歩さえ止まってしまうからね。だって僕はまだまだ上手くなれると思っているよ!

左が昨年、右が80年代のショット。どうです、このほぼ変わらないスタイル。「違うのは髪型だね」とは本人談 笑

About MARTIN”POTTZ POTTER
南アフリカ出身のポッツことマーティン・ポッター。15歳からプロコンテストに参加し、元ワールドチャンプを破り優勝を飾る。サーフィン歴5年余りでのあり得ない快挙にサーフィン業界は震撼した。1989年にはASP(WSLの前身団体)のワールドチャンピオンの座を獲得。時代を先取りするエアリアルといった革新的なマニューバを取り入れたり、エキサイティングなスタイルでアンダーグラウンドサーファーのような道筋を辿りながらもコンテストの世界でも華やかな成績を残す。見た目やライディングからはハードコアな雰囲気を醸し出す彼のスタイルは80年代から90年代のサーフシーンを最も盛り上げた1人と言っても過言ではない。現在はWSL(ワールド・サーフィンリーグ)のコメンテーターとしても活躍中。
instagram : @mrpottz

 

About DONT PANICサーフィン、スケートボード、スノーボード・・・まだまだ夢中で遊び続ける現代の大人たちへ。ライフスタイルに合わせて選べる“ハイブリッドリーディンググラス”を擁するアイウエアブランド。
オフィシャルサイト:dontpanic.tokyo 
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